~白砂青松~ 「津田の松原」

津田の松原の起源と沿革

「讃岐国名勝図会」の画像

津田の松原は往古には津田から白鳥に至る道端の松並木程度であり、いつのころよりか常楽寺の住僧が燃料用または防風林としてあちこちに植林していった。そして慶長5年(1600)3月に石清水八幡宮が(現)神野から常楽寺の隣接地に移転すのに合わせ、氏子たちにより大規模な植栽が行われたのが始まりといわれている。(※常楽寺は明治2年、神仏分離のため廃寺となる。)

以来、年月を経るに従い、うっそうとした松林となり美形を形成し、多くの遊客が訪れるようになった。

明治3年から
「太政官布告」により松原は石清水神社の境内を除き、国有地とされる。
大正4年
「香川県告示」により琴林公園と称する。
昭和14年
「文化財保護法」により、名勝指定。
昭和21年
現津田中学校敷、現さぬき市津田支所敷及び現津田小学校敷の一部など約3.2haが公園が公園から除外。
昭和28年8月11日
緑地帯としての都市公園計画の指定。
昭和31年5月1日
瀬戸内海国立公園区域拡張により陸域の琴林公園の区域が追加指定され「瀬戸内海国立公園・津田の松原」となる。(この時、昭和14年の名勝指定は廃止)
平成8年7月10日
「日本の渚・百選」に選定される。(日本の渚・百選中央委員会)